YOSHIKI(XJAPAN)の年齢身長や本名は?生い立ちから現在まで

ソロアーティスト

XJAPANのYOSHIKIさん。

YOSHIKIさんって年齢不詳ですよね!

子どもに、「すごい人でお金持ちというのはわかるんだけれど、どんな人なの?」と聞かれました。

そこで、YOSHIKIさんのことを伝えたいと思いました。

YOSHIKIさんの年齢や身長、本名や生い立ちから現在までXJAPANの活動などを追っていきますね!

Yoshiki World Tour in Paris

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YOSHIKI

本  名 林 佳樹(はやし よしき)

生年月日 1965年11月20日

年  齢 54歳(2020年4月現在)

身  長 175cm

出 身 地  千葉県館山市

ジャンル    ハードロック ヘヴィメタル ハードコア

トリップ・ホップ ポップ クラシック

職  業 ミュージシャン

ドラマー ピアニスト キーボーディスト

ソングライター 編曲家 音楽プロデューサー

実業家 起業家 ファッションデザイナー

ラジオパーソナリティ

担当楽器 ドラムス ピアノ キーボード

ギター シンセサイザー

活動期間 1989年から現在まで

1989年にビジュアル系ロックバンドX (現在X JAPAN)でメジャーデビュー。

ドラマー、ピアノを担当していて、バンドのリーダーでもある。

現在はL.A在住。

生い立ちから現在まで

幼少期

今から1965年の11月、千葉県の館山市に生まれ、老舗の呉服屋を経営する家庭で育ちました。

男兄弟2人で、YOSHIKIは長男、弟さんは現在マネージメントを行っている、5つ離れた光樹さん。

お父様は、ジャズ・ピアノ、お母様は三味線、叔母は琴の演奏ができるなど音楽一家だった。

お父様はプロのタップ・ダンサーだったそう。

日本刀を集めるのが趣味だったり多才な方だったそう。

幼少期は仕事で忙しい両親に代わり家政婦さんが兄弟の面倒を見ていました。

いわゆる「おぼっちゃま」ですね!

ほぼ毎日お父様からおもちゃを買ってもらっていた。

何でも出来て何でも買ってくれるかっこいいお父様だった。

YOSHIKIさんの品の良さは、やはり幼少期の環境にあるのでしょうか。

4歳になるとピアノをプレゼントされ、ピアノ教室でレッスンを受けるようになります。

お父様を喜ばせたい一心で、一生懸命ピアノを練習したといいます。

日ごろからクラシック音楽のレコードがかかっている環境で、初めて自分で買ったレコードは、クラッシックのレコードだったそう。

もうここで、すでにYOSHIKIさんの音楽の才能がDNAからも環境からもうかがえますね!

体が弱かった幼少時代

重い小児喘息を患っていたため、小学校中学年まで頻繁に入退院を繰り返す生活をしていた。

入院生活の中では偉人伝を愛読していてたという。

音楽

ピアノで作曲し始めたのは9歳の頃。

学校のブラスバンド部ではトランペットを吹いていた。

中学から高校まではブラスバンド部とサッカー部と兼部していたという。

スポーツのイメージが全くなかったのでちょっと驚きました。

最愛の人との別れ

10歳の時、お父様が亡くなられた。

34歳の若さでした。

すごくショックだったと話しています。

現実を受け止められず、周りにあたり散らしたと・・・

YOSHIKIさんにとって常に憧れの存在で『父のようになりたい』と尊敬してやまない父がどうして・・・と。

お父様が亡くなってから「生きる意味を考えるよう」になった。

死に方についての本を読み漁り、どういう風に死ねば楽に死ねるのかと考えていたそうです。

本当に、辛かったでしょうね。

それでも母も弟もいる中、やっぱりしっかりしなきゃいけない・・と思い始めた。

お母様も、一生懸命明るく接してくれて、だんだん父の事を口にしなくなったという。

 

運命の出会い

レコード店で偶然目にしたジャケットに惹かれて購入したキッスのシングル「ラヴ・ガン」

ジャケットを見て「この人たちなんでこんな格好してるんだろう?」と歌舞伎のようなメイクのメンバーを見て興味本位で購入したという。

流れてきた音楽は、想像もしなかった衝撃的な轟音。ギターとドラムの音が、YOSHIKIの体を熱くしたという。

(ここからは、メンバーことをファンとして愛着を込めて敬称は省略します。)

ハードロックを初めて聞いて、今まで心の中に鬱積されて抑えきれない感情を爆発させているような音楽。

そんな感情をすべて吹き飛ばしてくれるようなハードロックに一瞬で惹かれた。

お母さまに頼んで、ドラムセットを買ってもらい、ドラムを叩くことで感情を発散していた。

その後小学生の同級生で「DAYNAMITE」を結成。

そのメンバーには幼稚園からの幼馴染、のちにXJAPANのボーカルになるTOSHIもいた。

中学生になり、成績も優秀で吹奏楽部でトランペットを弾くなど勉強と部活を両立させる模範的な生徒だった。

しかし、学生生活が一変する出来事が・・・。

髪の長さを校則違反と注意され先生にバリカンで刈られてから、反抗心が強くなったYOSHIKI。

ロック=不良みたいと決めつけられるのにも腹が立ち、学校一の不良と言われるようになっていった。

毎日喧嘩して荒れに荒れて手の付けられない問題児。だが、勉強はいつもトップクラス。

優秀なのか、不良なのかわからないと言われていた。

そこには母との約束があった。

・何をやってもいいけどドラッグやシンナーには手を染めない

・窃盗や人を傷つけたりはしない

・受験勉強はちゃんとする

それだけは守り続けた。

バンド結成『X』

高校は進学校に入学する。

母との約束で勉強だけは続けていたからだ。

高校2年、TOSHIをボーカルにしたXを結成。Xには「無限の可能性」という意味がある。

一度は父に話していたピアニストになるため音大に進むことを決心したが、ヤマハのコンクールでベストドラマー賞、ベストボーカル賞を取ったりしていくうちに、自分たちで日本征服、世界征服をしようとTOSHIと誓い、音大への進学をやめて、音楽の道に進んだ。

高校の卒業アルバムには一言 “X”と書いた。そこには無限の可能性を感じていた。

1984年に上京。

当時は、ベストテンや夜のヒットスタジオなどアイドル全盛時代。

そんな中ロックバンドが売れるためにはどうすればいいのか・・・

まずは派手じゃないといけないんじゃないかと金髪に派手なメイク、派手な衣装でロック界の異端児が誕生

メンバー5人の前で「必ず成功させる。俺についてこい」と言ったそうです。

夢は「日本一のロックバンドになる」ということ!ワゴン一台で全国のライブハウスをまわった。

常に一緒にいるメンバーはいつしかYOSHIKIにとって家族のような存在になっていった。

そんな地道な活動を続ける中、どんどん知名度を上げていったX。

いよいよ勝負する時がやってくる。

Xのレコードをリリースするため、1986年にインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立。

アルバム制作費用1000万円を母から借り自分たちでアルバムを作った。

売れなかったらバンドはきっぱりやめて、母の好きなようにするという約束で・・・

大勝負の結果は、アルバム発売1週間で1万枚が完売。

1作目のアルバム『Vanishing Vision』は、インディーズチャートで1位を取った。

しかし音楽界からは「派手」で「過激」で「中身がない」と評判が悪かった。

メンバーの人生も背負っているYOSHIKIは必死で評判を翻そうとする。

デビュー

1989年アルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビュー。

過激なスタイルと美しい音楽性で若者を中心に人気を集め、当時トップレベルのバンドのなんと6倍のセールスを記録!その年だけで60万枚を売り上げた。

幼少のころからお父様が聴かせてくれていたクラシック。バラード「ENDLESS RAIN」で培った才能が花開いた。

積極的にテレビ出演しロック界と歌謡曲を同じ土俵に立たせ、ビジュアル系バンドというジャンルを確立する。

武道館公演、さらにはデビュー3年で東京ドーム公演を成功させた。

YOSHIKIは言う。僕は破滅的な人間だからHIDEがいてくれてみんながいてくれて後ろから守ってくれたからできた。

ロックって自由で、怒りを正当化できるものだと思っていたのに、ロックだからテレビに出るなとかいろいろ言われて、全部壊してやろうと思ったと語った。

 

世界進出

1991年11月。世界進出を発表し、日本での活動を一度休止すると発表。

国内ラストライブの1週間前。1991年の大晦日だった。

1992年1月YOSHIKIは、TAIJIを解雇する。理由はバンドで決めてた約束が守れなったから。

YOSHIKIは、一本気なので解雇という決断しかなかったのだと思う。

Xは、1992年8月24日にニューヨークのロックフェラー・センターで記者会見を開き、世界進出を果たすべくアメリカのタイム・ワーナーと契約したことと、新しいベーシストとしてHEATHが加入したことを発表した。

しかし、現実は厳しかった。

「英語を母国語としないバンドが成功するわけない」と・・・

XJAPANの初のアルバム制作。

日本にいれば、みんな大スターでも、アメリカにいると駆け出しのバンド。

レコーディングは繰り返し1年以上続いたがうまくいかず・・・

強引に引っ張っていかなきゃいけないと思っていたけれど、強引すぎたのかな・・・と。

あとで振り返ると、いきなり大きな目標を立てすぎてしまったのがいけなかったと語った。

解散

世界進出を夢見たYOSHIKIやメンバーの思いは届かず、1997年9月22日、X-Japanの解散を発表した。

ボーカルTOSHIの脱退も発表された。

その後解散ライブは大晦日に一日だけ行われることに決定。52000枚のチケットは2分で完売したといいます。

1997年12月31日、XJAPANの解散ライブ。結成から15年が経っていた。

父を失った悲しみをロックで乗り越えた少年が自ら全てを手掛けてきたバンドは奇抜なだけだと批判を浴びながらも常識を打ち壊し伝説のバンドへと成長した。

突き進んできた15年。こうしてYOSHIKIが人生を捧げたXJAPANは幕を閉じた。

 

HIDE

解散ライブ後、ギターのHIDEはソロ活動を始める。

次々と大ヒットを飛ばし、ソロアーティストとして大きな成功を収めようとしていた。

HIDEとYOSHIKIは「新しいボーカルを見つけたら再結成させて今度こそ全米デビューを果たそう!」と約束していたという。2000年になったら再結成しようと・・・。

解散ライブから5か月後

HIDEが亡くなったと伝えられた。

嘘だと思い信じなかったが、日本へ緊急帰国する飛行機の中でニュースが流れてきてそこで号泣した。

YOSHIKIに飛び込んできたニュースはHIDEが自ら命を絶ったということだった。

HIDEが生前語っていたXに対する気持ち。

僕が基本的にXをやっていたのはYOSHIKIの魅力によるところがすごく大きい。

悲しすぎる再会に。

Xの中では自分が先に死ぬと思っていたので、現実を受け止めることができなかった。

しかし、亡くなったHIDEを追ってファンの人達が後追い自殺をしているというニュースも入ってきた。

悲しい死の連鎖を止めるためには、YOSHIKIが呼び掛けるしかなかった。

YOSHIKI自身カメラの前で話せる精神状態ではなかったが、呼び掛けることがリーダーとしての務めだった。

ロスに戻ったYOSHIKIは心は限界にきていた。

僕がHIDE を誘ってなければ生きてたんじゃないか。生きてるって何?

自分が作ったXとは何だったのか。

そして、YOSHIKIは『二度とステージには立たない』と決意する。

HIDEとの別れについてYOSHIKIは・・・

自殺じゃないと今でも思っている。

HIDEは冷静で頭もよくて僕の100倍理にかなっている人で絶対自殺じゃない。

ただ死んだことには変わりない。

明確なことがわからないまま、疑問をずっと背負っていかなきゃいけない。

当時は、後追い自殺を止めないとと思って元メンバーで記者会見を開き、

みんな頑張ろう!と呼びかけていたが本当は自分が一番大丈夫じゃなかった。

断片的にしかこの時期のことを覚えてない。

全部自分の責任だと思ってしまって、消化しきれていないままで・・

精神科に行って、自分のことを聞かれ話始めるとドクターが「わかる、うんうん」と言ってきたことに対し、「わかるわけないじゃないか。」という怒りが芽生え、怒り始めたら精神が正常に戻っていった。

最後に1曲だけHIDEのために書いてXJAPANの扉を閉めた。

転機

HIDEが亡くなってから1年後の1999年夏、YOSHIKIに仕事の依頼が舞い込む。

天皇陛下御即位10周年の祝賀式典のための曲作りと天皇陛下の前でのピアノ演奏だった。

そんな大役を務められるのかな、引き受けていいのだろうかと考えた。

曲は作れても、その舞台に立つ勇気がない。

母に相談すると、「大役をいただいたことに感謝してやってみたら?」と言われた。

ピアノに向かうと今まで封印していた自分が一気に出てきて、メロディーが溢れてきた。

それがきっかけで前に進める気がした。

天皇陛下御即位10周年の祝賀式典

8分間のピアノ協奏曲「Anniversary」を天皇陛下の前で披露した。

この時に受けた拍手。自分にはまだ音楽があると思えた瞬間だった。

これをきっかけに

2005年 「愛・地球博」の公式テーマ曲をプロデュース。

日本を代表する作曲家として不動の地位を築いた。

TOSHIからの連絡

解散から10年過ぎたある日、TOSHIから連絡が・・・

HIDEの告別式以来の再会。

再会したとき、YOSHIKIはTOSHIに、HIDEが亡くなった時に作り封印していた歌を聴かせた。

天国のHIDEのために作った「Without You」。

HIDEが会わせてくれたんだと思ったという。

再結成

TOSHIに再会したことがきっかけで、2007年XJAPANを再結成する。

2008年には、再結成コンサートを開き、映像で実際にHIDEもいるようなステージを実現する。

2010年に行った横浜公演では、元メンバーTAIJIをゲストに迎え18年ぶりに共演を果たした。

しかし、2011年7月TAIJIは45歳の若さで、帰らぬ人に・・・

報道ではサイパンで自ら命を絶ったと伝えられた。

それでもYOSHIKIは立ちとどまらなかった。

その後の活躍

2012年にはアメリカの「ゴールデングローブ賞」公式テーマソングを作曲

さらに、2014年XJAPANとしてアメリカのロックの殿堂「マディソン・スクエア・ガーデン」でコンサート

2017年にはXJAPANとしてロックの殿堂「ウェンブリー・アリーナ」でコンサート

2017年1月クラッシックの殿堂「カーネギー・ホール」での単独コンサートを開催し音楽の三大殿堂を制覇。

映画「WE ARE X」を全世界で公開。

現在

日本ではなく、海外で次々と挑戦を続けている。

生きる意味を見出せなかった少年が仲間と出会い、ともに追いかけた世界という大きな夢。

天国の友たちの思いを背負って夢はまだ途中。

神様は絶えることのできない人間には試練を与えないと言います。

過去を輝かせるか、暗いものにするかは未来が決めるって思ってるとYOSHIKIは語る。

海外ではまだ、風穴を少し開けた感じで壁はたくさんあるけれど僕らが活動を続けていくことでいかにHIDEが凄かったか、TAIJIがすごい人だったかを伝え続けていく。。

YOSHIKIは今も走り続けている。

XJAPAN

X JAPAN(エックスジャパン)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド

1982年に当時高校生だったYOSHIKIとTOSHIを中心に彼らの出身地でもある千葉県館山市で結成。通称は、X(エックス)。

1992年にXJAPANに改名。1997年9月22日に解散を発表し、12月31日のステージで活動を一旦終了する。

2007年10月22日に再結成し、約17年越しの世界進出を果たす。

メンバー

YOSHIKI(ヨシキ) Drums & Piano(Keyboard) & Chant
活動期間[1982-1997/09/22, 2007/10/22-]

Toshl(トシ) Vocal
活動期間[1982-1997/04/20, 2007/10/22-]

HIDE(ヒデ) Guitar
活動期間[1987-1997/09/22, 2007/10/22-]

PATA(パタ) Guitar
活動期間[1987-1997/09/22, 2007/10/22-]

HEATH(ヒース) Bass & Chorus
活動期間[1992-1997/09/22, 2007/10/22-]

SUGIZO(スギゾー) Guitar
活動期間[2009/5/1-] LUNA SEA・Violet UKにも所属

TAIJI(タイジ) Bass & Chorus

活動期間[1985, 1986-1992/01/07, 2010/08/14,15-]

感想・まとめ

『YOSHIK(XJAPAN)の年齢身長や本名は?生い立ちから現在まで』という題名でお送りしてきました。

最愛のスーパーヒーローだったお父様の謎の死。

悲しみと怒り苦しみ、「なんで?」という気持ちは、一生持って生きていかなければないと話すYOSIHKIさんの背負っているものを考えると本当に心が痛みました。

1%の悲しみが99%の楽しかったことも黒く覆ってしまうという心、想像を絶します。

父を失った悲しみをロックで乗り越えた少年が自ら全てを手掛けてきたバンドは奇抜なだけだと批判を浴びながらも常識を打ち壊し伝説のバンドへと成長しました。

しかし15年後YOSHIKIが人生を捧げたXJAPANは幕を閉じます。

TOSHIを失った苦しみ、怒り、寂しさはお父様が亡くなられた時のように本当に辛かったのではないかと思います。

そして、突然のHIDEの死。受け止めるには大きすぎる事でした。

一度は音楽活動ができない状態になりながらも、やはり音楽に助けられ立ち上がったYOSHIKI。

その10年後にはTOSHIと和解し、再結成へ。

それからもTAIJIの死など、本当にいろいろなことがありましたが、それを乗り越え、現在があります。

私がXを知ったのは、デビューしたばかりの頃でした。

最初は「何?この人たちの格好!奇抜すぎじゃない?」とあまりいい印象を受けなかった覚えがあります。

その後、弟と見たライブの映像で、YOSHIKIのドラムソロに感動し、ピアノのENDORESSRAINの曲と詩に心を打たれファンに!

コンサートもなかなかチケットが当たりませんでした。

XJAPANFILMGIGS1993にはいくことができ、Xジャンプをした思い出があります。

そのころから、YOSHIKIの詩や、曲には切なさを感じていましたが、その裏にはこんな寂しく苦しい気持ちがあったのだと思うと、より深く曲が入ってきます。

YOSHIKIさんの壮絶だった半生について改めて触れると、YOSHIKIさんは本当にピュアな心の持ち主だと思いました。

自分の感情に嘘がつけない激しいところも、共感できるところが沢山あります。

YOSHIKIが人を思う気持ちって本当に強いんですね!

だからこそ、傷ついてしまう・・・。ただ、一生懸命なだけなのに。

昔から、太く短く生きるイメージがありましたが、その根底にはお父様のことがあるというのもよくわかりました。

今は、いろいろな辛いことを乗り越えられてまた違う、YOSHIKIの良さをテレビで観ることができて、うれしく思っていました。

人間生きていれば、前に進むしかないですよね!

そしてYOSHIKIが言っていた、「過去を輝かせるか、暗いものにするかは未来が決める

胸に刻みます。

今回、YOSHIKIとXJAPANというバンドのすごさを改めて感じることができまして本当に良かったです。

これからもYOSHIKIとXJAPANを応援していきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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